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INTRODUCTION
イントロダクション
歴史に埋もれる声なき者たちの物語を刻銘に記録したドキュメンタリー 在日朝鮮人2世である映画作家・朴壽南(パク・スナム)は、2025年に90歳を迎える。彼女と娘の朴麻衣(パク・マイ)が共同で監督したドキュメンタリー『よみがえる声』は、約40年前から朴壽南が撮り続けていた16mmフィルムを基に制作された。広島や長崎で原爆被害を受けた朝鮮人、長崎の軍艦島に連行された徴用工、沖縄戦の朝鮮人元軍属、そして日本軍の「慰安婦」にされた女性たちの声なき物語を描き出す。
母娘の絆が紡ぐフィルムの力に、国境を越えた称賛の声が響き渡る。 本作は2023年の釜山国際映画祭においてワールドプレミアされ、ドキュメンタリー部門でビーフメセナ賞(※第一席)を受賞。審査委員の原一男監督(『ゆきゆきて、神軍』『水俣曼荼羅』)は「この作品を見た瞬間、ある存在を破壊する力を感じた」と激賞した。さらに、ベルリン国際映画祭では「豊かで脱植民地的なアーカイブ」としてフォーラム部門に正式招待され、ジャン・ルーシュ国際映画祭では「生きている遺産賞」を受賞。2025年2月の座・高円寺ドキュメンタリーフェスティバルでもコンペティション部門で大賞を受賞した。時代の波に飲み込まれた記憶や歴史的事実を丹念に掘り起こし、多くの人々が見過ごしてきた真実に光を当てる。それは単なる過去の記録ではなく、私たちがいま直面する課題とも深く結びついている。
STORY
ストーリー
朴壽南(パク・スナム)は、在日朝鮮人二世として日本で生まれた映像作家である。1935年に生を受けた彼女は、幼少期に皇民化教育を受け、天皇を神と信じる「皇国少女」として育てられた。しかし、5歳の時、民族衣装をまとった母親が石を投げられ罵声を浴びせられるという屈辱的な経験を目の当たりにし、在日朝鮮人への深い憎悪の視線に触れる。朴はその苦しみに耐えきれず、自らの朝鮮人としてのアイデンティティから逃げ出した。しかし解放後、朝鮮学校で祖国の歴史と文化を学ぶ中で、自分自身の民族的な魂を再び取り戻していった。
戦後の1950年代、日本に定住した約60万人の在日朝鮮人たちは、民族差別によってまともな職に就くことができず、貧困に苦しんでいた。この絶望的な状況から抜け出すため、「地上の楽園」と宣伝された北朝鮮への帰国事業が進められる中で、小松川事件という悲劇が起きた。1958年8月、東京都小松川高校定時制に通う女子生徒が殺害される事件が発生し、犯人として逮捕されたのは在日朝鮮人二世の李珍宇(イ・チヌ)であった。彼は逮捕後、他の迷宮入りしていた女性殺害事件についても自供した。翌年1959年、第二審で李珍宇に死刑判決が下されると、この判決に異議を唱えた大岡昇平や吉川英治など日本の文化人たちが「李君を助ける会」を結成し助命嘆願運動を展開した。朴壽南もこの運動に参加し、事件を自らの問題として捉えた。しかしながら李珍宇は逮捕からわずか4年後の1962年11月に異例の速さで絞首刑となり、その若い命は22歳で散った。後に刊行された朴壽南と李珍宇の往復書簡集『罪と死と愛と』は、多くの人々の心を揺さぶりベストセラーとなった。
その後、朴壽南は一人で在日朝鮮人一世たちの体験を聞き取るために、日本各地を訪ね歩き取材記事を発表していった。これは国家主義によって排除された李珍宇の存在を問い直し、南北分断の狭間で見捨てられた同胞たちの存在を回復する闘いでもあった。彼女が自ら存在の不条理を問う時、そこには歴史によって翻弄され、存在を抹殺された同胞たちの人生が交錯していた。1964年、朴壽南は在日朝鮮人一世への直接取材を開始し、日韓協定によって賠償問題から無視されていた朝鮮人被爆者たちの声を記録し始めた。差別への恐れから沈黙を続ける彼らの姿に向き合い、高齢化した一世たちが次々と他界していく中で、その沈黙を映像で表現するためペンからカメラへと手段を変え、『もうひとつのヒロシマ−アリランのうた』(1986年)を製作した。
朴壽南はまた、ライフワークとして朝鮮人原爆被爆者の実情と今日の課題に焦点を当て続けている。日本政府は1965年の日韓協定で植民地支配について最終的に解決されたと主張しているが、朝鮮人被爆者への国家賠償責任は依然として問われていない。戦後、医療さえ受けられず放置されてきた韓国に暮らす原爆被害者たち。その1990年代の復元映像と現在を結びつけながら、朴壽南は娘の朴麻衣とともに再び長崎へ向かい、日本市民と韓国徴用工との裁判闘争を取材している。日本政府による歴史への歪曲や関連作品への検閲が続く中でも、朴壽南は30年以上もの間、沈黙の中に埋もれた歴史の被害者たちの声を記録し続けているのである。
STAFF
スタッフ
朴壽南パク・スナム
監督
1935年3月、三重県生まれ。在日朝鮮人2世。小松川事件(1958年)の在日朝鮮人2世の少年死刑囚、李珍宇(イ・ジヌ)との往復書簡『罪と死と愛と』で注目を集める。1964年より植民地による強制連行、広島と長崎で被爆した在日朝鮮人一世の声を掘り起こし、証言集を出版。ペンをカメラにかえ1986年、朝鮮人被爆者のドキュメンタリー映画『もうひとつのヒロシマ』を制作、初監督。1991年、沖縄戦の朝鮮人「軍夫」「慰安婦」の実相を追った『アリランのうた−オキナワからの証言』を発表。2012年、沖縄戦の「集団自決」と朝鮮人「慰安婦」「軍属」の証言を集め『ぬちがふぅ(命果報)−玉砕場からの証言』完成。2017年に韓国の「慰安婦」被害者たちの闘いの記録『沈黙−立ち上がる慰安婦』を制作。新作『よみがえる声』は、娘朴麻衣と初の共同監督で完成させた。
朴麻衣パク・マイ
監督(※共同監督)
1968年3月、神奈川県生まれの在日朝鮮人3世。朴壽南の長女で10代の頃から母親の自主上映活動の一端を担う。2006年から沖縄の撮影に同行し『ぬちがふぅ(命果報)−玉砕場からの証言』に助監督として参加した。2016年には『沈黙−立ち上がる慰安婦』編集及びプロデューサーとして参加。朴壽南が撮りためた16mmフィルム映像ほか各種の映像記録の復元、アーカイブ化、自主上映の運営を継続している。
助監督:佐藤千綋
撮影:大津幸四郎、星野欣一、照屋真治、朴麻衣、金稔万、キム・ミョンユン
編集・プロデューサー:朴麻衣、ムン・ジョンヒョン
フィルム復元協力:安井喜雄
WITNESS
証言者たち
イ・ヨンイン
広島で被爆し両眼視力を失う。福岡県飯塚市の炭鉱村に一人で暮らす在日朝鮮人。
キム・ジョンスン
長崎で被爆。当時25歳。夫、子とも原爆後障害で死亡。原爆後遺症の眼の手術を受けるために韓国から来日した。
チョン・ドンネ (1898-1992)
1919年4月15日韓国京幾道の堤岩里(チェアムリ)教会虐殺事件の唯一の生存者。当時の状況を克明に証言した。1992年他界。
キム・ブンスン
広島生まれ。被爆当時18歳。背負っていた生後4か月の娘は4日後に死亡した。韓国へ帰国後、1967年結成された「韓国原爆被害者協会」で被爆者支援の中心を担った。
ソ・ジョンウ
1944年、14歳で軍艦島の海底炭鉱へ強制徴用。半年後、三菱重工業長崎造船所へ配置され45年8月9日仕事中に被爆。戦後、長崎で若い世代に体験を語り継いだ。2001年他界。
キム・ソンス
1943年、三菱重工業長崎造船所に強制徴用され「木鉢寮」に収容された。1945年8月9日被爆。2016年9月、長崎市に「被爆者健康手帳」交付申請をしたが却下。処分取消を求め提訴2019年勝訴判決を受け手帳を取得した。2021年9月他界。
平野伸人
1946年12月生まれ。長崎市出身の被爆二世。1987年から500回以上訪韓し三菱徴用工のキム・スンギル裁判、在韓被爆者の裁判、生活支援に取り組む。中国人の強制連行、被爆の実態調査、裁判を支援し被害者団体と三菱マテリアルとの和解を導く。
PRIZE/REVIEW
受賞歴/レビュー
★★★★★
作品が持つ爆発的なエネルギーに対する意味を考えてみなければならない。彼女の人生を歩いて作った作品を見ることができて幸せだった
第28回釜山国際映画祭
「ビーフメセナ賞」選評 映画監督 原一男
★★★★★
少数者への嫌悪が降り注ぐ世界で、その長い歴史を記録し今ここで依然として声を出すことは、それ自体で尊敬される
第49回ソウル独立映画祭
「独不将軍賞」選評
★★★★★
数多くのフッテージを通して歴史的事実を記録し、記憶し、まっすぐなドキュメンタリーとしての成就を生み出した作品
第12回茂朱山里映画祭
「ニュービジョン賞」選評(クァク·シネ&チョ·ヒョンチョル&ハン·ジュンヒ)
★★★★★
愛と闘争の身ぶりである『よみがえる声』は私たちに必要で大切な、しかし、隠されていた映画作業と監督の目覚ましい世界を見せてくれる
第43回ジャン·ルーシュ映画祭
「生きている遺産賞」選評
★★★★★
映画のフッテージは代替の歴史を記録しそのコミュニティの記憶を保存するフィルムの復元は生命と身体に傷を負った人々の言葉と身体の表現力に焦点を合わせる
第74回ベルリン国際映画祭
プログラムノート
★★★★★
一貫してディアスポラとして大地に追い出された人々を記憶し証言する。そして、パク·スナムは直接映画となって証言する段階に達した
第12回ディアスポラ映画祭
プログラムノート
★★★★★
ドキュメンタリー映画製作の本質を省察するように挑戦するだけでなく歴史的不義に対抗して失われた歴史を回復することの重要性について重大な問いを提起する
第3回レッドロータスアジアン映画祭
プログラムノート
★★★★★
母娘が一緒に監督したこの作品は、家族間の和解と結束、そして記録者としての役割を続ける炎をあらわにする
第31回台湾国際女性映画祭
プログラムノート